2018年6月9日土曜日

310:コンセプチュアル・スキルとは その3

「ある会社の事業部長は、事業部の行動計画を立てる際に、緻密さにかけているのではないかと不安を抱いている。
事業部長のこういった不安を解消するために、部下に論理的、体系的な思考基準を共有してもらいたいと考えている。」

不安を解消するためにリスク分析をする場合のステップとして、適切な順番に並べられているものを以下の中から選びなさい。

①将来起こりうる問題を想定する。
②問題が発生した時の対策を立案する。
③問題の起こる可能性のある領域を探す。
④予防対策を立案する。
⑤リスク分析を実施する範囲を決定する。
⑥考えられる原因を想定する。

(A)①→②→③→④→⑤→⑥
(B)⑤→③→①→⑥→④→②
(C)⑤→⑥→①→②→④→③
(D)⑥→①→⑤→④→③→②








正解は(B)である。

今回は「リスク分析」の領域である。
経営資源の有効な活用を考えると、リスク分析を行う範囲を決めなければならない。
さらに、過剰計画にならないよう、起こりうる問題をその発生確率と重要度により、絞り込む必要がある。

また、リスク対策においては、発生時対策が重要視され、予防対策が省かれてしまう傾向にあるが、これには注意が必要である。
つまり、「起こったらどうするか?」が重要であると同時に、「起こらないようにするためにはどうすればよいか?」という思考もまた、重要なのである。

リスク分析においては、以下のような手順で問いを立てていくことが望ましいといえるだろう。
・この計画のどこが危ないのか。
・そこにどんな諸問題現象が想定できるのか。
・それらの諸原因となるものは何か。
・それらの諸原因を除去する対策は何か(予防対策 Preventive)。
・発生時の影響を最小化する対策は何か(発生時対策 Contingency)。

ところで余談だが、「リスク」のとらえ方を、「起こりうる損傷(injury)、損害(damage)、損失(loss)」と整理すれば、対応しやすいことになるのではないか。

2018年6月6日水曜日

309:コンセプチュアル・スキルとは その2

「統括部長は管理会議の方法を改善しなければならないと感じている。というのは、現状は会議にまとまりがなく、とりわけ口数の多いメンバーが支配しがちで、実質的にあまり成果が得られないまま多くの時間を費やしている状態である。
このような状況で、取り組むべき課題を明らかにしていく上で、最も論理的な手順を表しているものを選びなさい。」

①優先度を決定する。
②問題、関心事、課題を挙げる。
③問題解決のためのプロセスを決める。
④状況分析の範囲を限定する。
⑤全体像を見直す。
⑥複雑な問題を分析できるレベルまで細分化する。

(A)①→③→⑤→④→②→⑥
(B)④→②→⑥→①→③→⑤
(C)④→③→⑥→②→①→⑤
(D)⑤→⑥→②→③→①→④









妥当な回答は(B)である。

当該状況は「状況分析」の問題である。
まず、「決定分析」の際と同様、分析の範囲を明確にし、その範囲内の問題点を列挙する。
(この「列挙」の際には、過剰な説明をしない、優先順位に関わる討議をしない、内容の優劣を論じない、ということが大事である。つまり、ここでは、問題点の洗い出しに注力するということである。)
大きな問題は、処理しやすい部分に分解し、優先順位を決め、各々の課題へのソリューションに至る考え方の工程、プロセスを確立し、最終的に全体像を確認する。

問いのフローは、以下のようになるであろう。
・何の状況分析をするのか。
・諸問題・諸課題は何か。
・大きな問題を分解・分離するとどうなるか。
・優先順位をどうするか。

2018年5月30日水曜日

308:コンセプチュアル・スキルとは その1

日本社会における生産性向上が課題と論じられて久しい。
製造業やサービス業に関する生産性もさることながら、思考の生産性、つまり意思決定の精度を上げないことには、組織全体の生産性そのものを上昇させることは難しい。


Robert. L. Katzハーバード大教授が、マネジメントに求められる3つのスキルとして、テクニカル・スキル、ヒューマン・スキルに加え、コンセプチュアル・スキルを挙げたことは記憶に久しい。
このような流れを受け、コンセプチュアル・スキルについて、多くの議論がなされたが、しかし今日まで明確な説明や定義はなされていないように思う。
遅ればせながら私なりにコンセプチュアル・スキルについて定義をすると、「直面する諸問題の本質を押さえ、優先順位を決め、結論に至る考え方の観念の過程を論理的に構築できる能力」である。

これから2、3回で、このコンセプチュアル・スキルについて、問題を出しつつ、いつくかの側面から書いてみたい。

このようなことを念頭に置いて、次の問題を解いてみてほしい。
論理的な観念の過程をどのように構築すればよいか、という、まさしく「コンセプチュアル・スキル」についての問題である。



ある中都市の職員たちは、ゴミ収集サービス会社の選定を行おうとしている。現在の会社との契約はあと6か月で終了するが、市の職員たちはこの会社のサービスに不満を持っている。この都市の人口は徐々に増加しており、市の職員たちは対応力のある会社を選びたいと考えている。一方、職員の中には、市独自で行うゴミ収集部門の設立を提案する者もいる。」

ゴミ収集の目的を満たす方法を選ぶための、適切な分析の順序を下記のなかから選びなさい。

①選定基準に照らし合わせて、様々な選択肢を客観的に比較する。
②新しい会社への要求基準をリストアップする。
③何を決定すべきかを決める。
④最も良いと考えられる会社の短所を分析する。
⑤選定基準となる項目を、必ず満たすべき項目と満たすことが望ましい項目に分類する。
⑥できるだけ多くの選択肢を考える。

(A)②→③→④→⑤→①→⑥
(B)③→②→⑤→⑥→①→④
(C)④→③→⑤→①→②→⑥
(D)⑥→③→⑤→①→②→④









正解は(B)である。

本問は、「決定分析」に関する問題である。

ここで最も重要なことは、まず決定するテーマを明確にしなくてはならないということである。
議論が拡散し、意義のないものになることを避けるためには、これをまず行うことが必要である。
その後、選定作業に入っていくが、ここでの要は、複数案を比較するための諸基準づくりである。
また、基準ができた後に一度振り返り、他に選択肢は構築できないかと考える作業も、抜け、漏れを避けるためには必要である。
最後に、提示されている選択肢を、選定基準に照らして評価することになる。

また、仮決定の作業がなされた後には、ここまででは、選ばれた選択肢の問題点が分析されていないため、当該の選択肢について問題点の分析を行っておくことも重要である。
最善の選択肢であることは、無謬の選択肢であるということにはならないからである。

さて、これを単純な問いの流れとしてまとめるとどうなるか。
・何を決めるのか。(決定事項)
・狙いは何か。(目的・目標)
・主目的、副次的目的は何か。
・ほかに方法はないか。(選択肢の拡大)
・まずいことは何か。(実施した場合のマイナス要因)

以上のような論理的な問いの流れ(枠組み)に沿うこと、あるいはこのような枠組みをその都度構築できる、ということが、決定分析という領野におけるコンセプチュアル・スキルであろう。
次回以降で、他領域に関しても、同様に問題を通じてコンセプチュアル・スキルについて考えてみたい。

2018年5月26日土曜日

307:数年ぶりの米国母校訪問

4月中旬、3年ぶりに米国インディアナ州にある、リベラルアーツ大学である、DePauw Universityという私の母校を訪問した。

実はこの大学は、第一号留学生が、1877年に渡米した日本人学生であるという、日本とも関連の深い大学である。
1838年に設立され、学生数約2500人。
私は同校の卒業生で、1998-2007年の間に理事を、以降は終身理事を務めている。

現在何と22名の日本人留学生がおり、また彼らのほとんどは短期の留学でないRegular Studentである。
学長から、日本人留学生を激励し、彼らの相談などにも乗ってほしいとの話があったことなどが、今回の渡米の目的だった。
現地では学長をはじめ、多くの教授と面談し、また日本人留学生22名全員と、3、4名ほどのグループごとに面談をした。
とりとめのないものになるかもしれないが、その際の感想を書いてみたい。

まず一つ目の印象は、いわゆる「人間力」、つまり初対面から相手と深いコミュニケーションを取ることのできる能力が高いと感じた。
これは私に対する質問の内容や、自分の意見を率直に述べる様子などから感じられたように思う。
もちろん率直といってもぶっきらぼうであるということではなく、配慮や敬意といったものが感じられ、表情が明るく、ほがらかで生き生きとした彼らとの会話は愉しい時間だった。

二つ目に、個々の学生の専攻や興味は多様だったが、ものごとの定義を明確にして会話を進める学生が多かった。
哲学を専攻する学生から「教育の定義はなんですか?」と聞かれたときには弱ってしまった。
また、なぜ?(Why?)という質問も多かった。
これは根拠に関する「なぜ?」であり、単なる事実関係の確認に関する「なぜ?」ではなかったように思う。

また三つ目に、彼らが米国での生活に慣れつつも、日本への愛情がうかがえたことも興味深かった。
これは、議員バッジを付けた先生方の国家の将来の方向に対する考え方よりもさらに真剣なものを感じた。
ともあれ、このことが示しているのは、これから国際的に活動する人々は、人間として成長する過程において、複数の文化的背景を持ちうるということだと私は思う。
過度に日本を批判するアメリカナイズされた態度に終始するのではなく、世界社会で活躍する際の、ある人の文化的ルーツが複数の国にまたがるということが可能であるのだという実感を持った。

18歳以下の人口が激減している日本においても、単に知識を与えるのみではなく、全人格的な教育を伝統に置いた高等教育機関が育っていくことが望まれるのではないか。

2018年5月23日水曜日

306:国家戦略特区って何?

国会の予算委員会が空転している加計問題は、国家戦略特区に関する内容であることを確認してみたい。
ちなみに、総理官邸HPによると、「国家戦略特区は、"世界で一番ビジネスをしやすい環境"を作ることを目的に、地域や分野を限定することで、大胆な規制・制度の緩和や税制面の優遇を行う規制改革制度です。平成25年度に関連する法案が制定され、平成26年5月に最初の区域が指定されました。」

というものであるようである。
空転を続ける国会で審議されている加計学園問題は、この「国家戦略特区」をめぐる議論である基本的な事実をまず認識しなければならないだろう。

2018年5月16日水曜日

305:The Bottom Line

米国でしばしば耳にする言葉に、The Bottom Lineというものがある。
私見では、これはものごとの本質、要点、結論といったことを意味する語である。
例えば会社の会議でまとまらない議論をガチャガチャと行っているような者がいれば、"What's the bottom line?"と聞かれてしまうことになる。

本日5月14日にテレビを付けると、たまたま衆議院予算委員会の国会中継が行われていた。
見ていた限りでは、国家予算に対する審議は全くなかったと言っていい。
内容は相変わらず加計学園の話題であり、若干の外交関連についての話もあったものの、ほとんどは前者の内容であった。

このブログでは、もっと建設的に、ポジティヴにものごとを考えてみたいと思ったものの、この件に関しては何とも批判的なことしか出てこない。

例えば、予算委員長の役割とは何なのだろうか?
ただ会を招集し、発言者の名前を呼ぶだけが議長の責任なのだろうかと考えてしまう。
会議の議長のあるべき姿とは、本題に外れないように議論を進めていくこと、また、結論を出すために会議を誘導することであると思うのだが、これは間違いだろうか?

また、より大きな問題として、質問の Bottom Lineは何かという疑問を持ってしまう。
つまり、根拠や結論に結び付く質問がないということが気になった。
質問のほとんどが、状況はどうなっているのか、誰が何をどこでいつどうしたのか、といった単なる事実関係を問うもののみに終始していたように思う。

ここでのBottom Lineは、例えば「なぜそのような状況が発生しているのか」、と問うことではないだろうか。
つまり、なんのために事実関係を明確にするのか、言い換えれば、事実関係を明確にすることにおけるBottom Lineは何か、ということがそれぞれの質問者の中でハッキリしていなければならないということだ。

さらに言えば、予算委員会のBottom Lineは何か? ということが最も重要であるだろう。
中継を見ていた人であればおそらく誰しもが感じるであろうこの疑問に、ぜひ議員の方々には応えていただきたいと思う。

この予算委員会の実態が、国民の税金の無駄遣いを如実に表していると言っては言い過ぎだろうか。

2018年5月5日土曜日

304:リスクを取ることの意味

元気のある企業や組織は将来に向けてリスクを取っている。
この「リスク」という言葉は、天下の広辞苑でも「危険」という程度の説明しかされていない。

しかし私は経験的に、リスクを三分類して考える。
まず、「起こり得る損害(damage)」。
次に、「起こり得る損傷(injury)」。
最後に、「起こり得る損失(loss)」。

例えば、価格競争に負ける、技術開発が遅れる、収益の低下、技術の漏洩、機会損失……
などと、企業で言えば様々な問題が考えられるだろうが、これらはその性格に応じて分類ができるということだ。

さて、広辞苑の説明などが示すように、「リスク」という言葉にはネガティヴな意味ばかりが与えられているように思われる。

しかし実際には「リスクを取る」ことが「危険」であり、ネガティヴなものであるのは、リスク(起こり得る諸問題)への対策がきちんとなされていない場合においてなのだ。
つまり、リスクを取り、例に挙げたような不利な状況が発生した場合に現実的に打つ手を想定・策定していれば、リスクを取るということ自体、マイナスな意味にはならないはずなのである。

例えば価格競争に敗れた場合においての現実的な対応策が考えられ、講じられるのであれば、リスク(損害、損傷、損失)に対して対策を打つことになり、結果としてリスクを克服することになる。

つまり、「リスクを取る」ということは、実は、「危険を冒す」ことなどでは全くないのである。
むしろ「危険」を、具体的に起こり得る現象として複数想定し、それらへの対策の有無を判断することが「リスクを取る」ということの本質であると言えないだろうか。